初めまして!プロフィールを見て頂きありがとうございます。
このブログでは
- “ブログ“で商品を無償提供&収入を得る方法
- 年収300万円以下でも資産900万円達成した資産形成術
- 初心者向け新NISA、株主優待、ビットコインの投資について
を発信していきます。
これまでの実績
ブログ実績
・2017年から稼ぐ目的でブログスタート
(それまでは趣味で日記をアメブロに書いていました。)
・商品モニター200件以上
・Wordpressは始めて4か月で1万円達成!
・Googleアドセンス2回連続1発合格
現在は3ブログ運営中♪
育休中に3万円達成しました!
資産形成について
25歳まで貯金とは無縁の散財生活を送る
10代の頃はファッションとアイドルが大好きで25歳の時点での貯金はほぼゼロ
25歳の時、さすがにまずいと気づき節約と貯金に目覚める。
年収僅か300万円ながらなんとか2年で貯金100万円を達成したが、手取り18万円の自分に絶望する。
このままじゃ一生節約生活だという事とFラン短大卒でキャリアも無い私は会社員としての年収アップは難しいと気づき、本気でブログ副業を始める。
ブログで稼いで、投資で増やす暮らしを継続し2024年に資産900万円を達成しました。
投資について
NISAをきっかけに証券口座を開設し、投信積立が6年で+70万円に成長!
これをきっかけに日本の個別株にも興味を持ち、株主優待と高配当を目当てに投資をしています。
株主優待の実績はこちら
2022年からはビットコインを初め、2倍に増えました!ビットコインはまだまだ可能性があるので少額で持っておくのが良いなというのが個人的な考えです。
ビットコインの運用実績はこちら
☆このブログを始めたきっかけ☆
現在、正社員で事務職していている私ですが新卒で入った大手の会社を僅か5か月で辞めた事をきっかけに人生の迷子になり、働く事に関してずっと悩んできました。
私には姉がいるのですが、学生時代は一生懸命勉強して有名大学へ行き誰もが知る大企業の総合職としてバリバリ働いて海外旅行にも何か国も行ったりカルティエの時計など好きなものは全部自分で手に入れています。
そんな姉がとてもまぶしかったです。
それに比べて私は
32歳の時にふと気づくと
そこには
・Fラン短大卒でたいした学歴もキャリアもない
・手取り18万円のぽんこつな私がいました。
でも、こうなったのは自己責任です。
私は学生の時はろくに勉強もせずに
ファッションや好きなアイドルのことばかり考えていたしテスト勉強も一夜漬け
社会人になってからも嫌になったらすぐに仕事を辞めてしまったので職歴もぐちゃぐちゃ
30歳を過ぎてやっと自分の人生は自己責任なんだと当たり前の事に気づきました。
その時は「もう私の人生は手遅れ」という言葉が私に重くのしかかって
つぶれてしまいそうでした。
ずっと非正規で働いていた私も32歳でなんとか正社員にありつけたものの
全然興味の無い仕事内容と満員電車と手取り18万円
履歴書に書ききれない職歴なので
「今の会社を辞めたら雇ってくれるところはないだろうから我慢して続けなきゃ。」
これからはもっと節約して
老後のお金を貯めなきゃ
毎日こう思いながら生活していました。
そしてそんな事を考えていた毎日は本当に苦しかったです。
しばらくは人生に絶望しながら
淡々と仕事をこなしていましたが
やっぱりこんな自分は嫌だ!
諦めたくないという
気持ちがまだ自分の中にあって
このブログを立ち上げました。
もっと私のこれまでを詳しく知りたい方はどうぞ下まで読み進めてくださいね。
何でもできちゃう器用な子供時代
2人姉妹の次女として生まれた私
活発で外で遊ぶのが大好きで鬼ごっこはもちろん、お人形さん遊びも外でやっちゃうような子でした。
小1の時は慣れない学校生活に朝行きたくないって泣いてお姉ちゃんに手を引っ張られて登校していた事もあったけど小3の頃にはすっかり慣れて順調な学生生活が始まりました。
・小学校のマラソン大会では150人の中から3位
(50m走は小学校高学年の時、8秒台前半でした。)
・お習字を習い、銀賞に選ばれたり(書道三段)
・全然勉強しなくてもテストでは常に80点は取っていました。
1番にはなれないけど、努力しなくても平均以上な私でした。
小6の時にはクラスで男女各1人ずつしか選ばれない”代表委員”という係に女子3人立候補した中でクラス投票で選んで貰え、クラス代表として代表委員も務め、生徒会選挙の司会で校内放送に出演したりと目立ちたがりな一面もありました。
性格は大人しかったものの、走るのも早く背も高め、勉強もそこそこ出来た私はクラスでもどっちかといえば目立つ方のグループに入っていました。
クラスで1番足の速かった男の子にも告白されて(その子はその後すぐに転校してしまったけれど・・)平和な日々を過ごしていました。
初めてつまづいた中学生時代
中学生になった私は運動が好きだったのでバレーボール部へ入部
でも、バレーボール部の顧問の先生がめちゃめちゃ怒鳴る先生で
これまで人に怒鳴られるなんて経験の無かった私は怖すぎて半年で退部してしまいました。
私の中学は必ず部活に入っていないといけなかったので適当に緩そうな美術部に入部
バレーボール部とは打って変わって土日の練習も無くとても楽な部活でした。
パソコンを始めたら世界が広がった
元々活発だった私は、学校へ行くだけの毎日でなんかつまんないなぁと思って毎日を過ごしていました。
そんな時、父がパソコン買ったのです!父が仕事でいない放課後に、パソコンを借りてネットを楽しむようになりました。
その時に愛用していた「ふみコミュニティ」という10代の女の子向けのサイトは掲示板があり、誰でも投稿できて、同世代の子と繋がれてよく投稿していました。
例えば
”目を大きくしたいなら瞼の浮腫みを取るマッサージをするといい”とか、美容に関する話題だったり
学校での悩みなどなど情報交換ができ、そこで文通友達も出来てなんと、実際にその子と原宿で遊んだ事もありました。
そこからパソコンにのめりこみ自分でホームページを作ったりもしていました。
無料で借りれるサーバを借りて見よう見まねでHTMLをいじって文字を大きくしたり、ペイントでバナーを作ったりしていました。その頃は著作権とかも知らないしそんなに厳しくなかったので、ページを開くとAYUの曲とかをオルゴールで流したりしていました。
こんな感じでバレーボール部を挫折した私は
すっかりパソコンオタクになり、学校は楽しくなかったけど放課後はホームページを更新していてそれなりにやり過ごしていました。
変わりたいと思った高校時代
勉強をあまりしなくても成績は中の上くらいだった私は、担任の先生に公立で推薦で行けそうな学校を聞いて面接だけの推薦入試でその高校へ進学します。
中学の時に部活を挫折した私は、
”高校ではちゃんと部活を3年間続けよう”
と思ってダンス部に入部しました。
私が行った高校は、”みんなで楽しもう”という雰囲気があって、尖ってる不良もいなく、中学みたいに理不尽に怒鳴る先生もいなく環境に恵まれました。
入部したダンス部もとても仲が良くて部活へ行くのが楽しみでした。
アルバイトも始めて、ファミレスで週に3日ほど月に3万円くらい稼いでいましたね。
どんどん勉強がおろそかに・・・
こんな感じで部活とアルバイトが楽しかった私はすっかり勉強がおろそかになります。
これまで、勉強してなくても平均以上の成績を取れていた私は高校からどんどんついていけなくなり中の下くらいに落ちてしまいました。
そんな中でも
高校生活の中で唯一誇れるものは簿記2級を取得した事です。
簿記2級って合格率11%とかで難しいんです。
でも、私の高校は「みんなで頑張ろう」っていう雰囲気が強くて勉強嫌いだったけど、私もその楽しい雰囲気に良い影響を受けて
その時だけは1人で図書館で勉強したりして1発合格しました。
こんな感じで楽しい高校生活を送れた私は、お姉ちゃんが洋楽のCDをよく聴いていた影響で海外と関わる仕事がしたいなぁーと思い語学の短大へ進学しました。
うちは超貧乏では無かったけどお金持ちではないので
大学へ行くなら国立、専門や私立に行くなら2年にしてと親に言われ、私は私立の短大へ行きました。
ちなみお姉ちゃんはめちゃめちゃ努力して国立大学へ行きました。
類は友を呼んだ短大時代
私は短大も推薦で行ける所へ行ったので名前も知られていないようなFランの短大へ進学
私は楽な方へどんどん流されて、アルバイトとお洒落の事ばっかり考えていました。
社会人になってまたつまづく
そして就職
高校の時に考えていた海外に携わる仕事は受かりませんでした。
今まで苦労して達成した経験が無い私は、偶然受かった大手企業に就職し販売員となりました。
大手企業なんてすごいじゃん?と思うかもしれませんが
大手企業って辞める人を見込んで、大量に採用するんです。
私の同期も入社式にすら来なかった人(辞退の連絡をしていなかったんですね。)研修中に1人、配属初日に1人とどんどん辞めていきました。
周りがぽんぽん辞めるものだから仕事を辞めるという事に抵抗が無くなった私も元々やりたい事じゃなかったし、配属されたお店がめちゃめちゃ暇で1日に誰も来なくて掃除して終わったなんて事もあり、安易な気持ちで僅か5か月で辞めてしまいました。
その後は雑貨屋さんでアルバイトをしたのですが、半年後に閉店で退職
そしてこのタイミングで家族に問題が起こります。
親の別居と引っ越し
私の両親は、私がものごころついた頃から仲が悪く頻繁にケンカをしていました。
怒鳴り合い&とっつかみ合いです。
1番印象に残っているケンカは
小学校の頃、母とお祭りへ行き家に帰ると父がドアにチェーンを掛けていて中に入れなかったことです。(母は工具を買ってきてチェーンをぶち切ったのは今でも覚えています。)
他にも部屋で過ごしているとドスドスと音がして2人がケンカをしててやっぱり力では父には叶わないからお母さんが負けちゃってて、小学生だった私は泣きながら必至でお父さんの背中をバシバシ叩いた記憶があります。
母は何度か私と姉を連れて実家へ帰ったそうなのですが、父は何度も謝りに来て結局父の所へ戻ったそうです。(DVあるある)
こんな調子で、私は父と母が仲良くしている所を一度も見たことがありません。
お姉ちゃんはこんな家が嫌だったのか、受験を頑張って地方の寮がある大学へ行ってしまいました。
私も高校~短大は学校とバイトで忙しくて両親がケンカをしていても仲裁に入れたし、気にならなくなりました。
でも就職に失敗して、落ち込んで家にいた時にまた両親のケンカが始まり
もうお母さんとお父さん離れた方がいいんじゃない?って思って
私は母と一緒に地元を出て、母の親戚のいる地域へ引っ越しました。
私が21歳の時です。
ストレスの無い母との暮らし
母と引っ越し友達も誰もいない町へ、住む部屋はランクダウンしたものの、暴力的な父と離れての暮らしは大好きなお母さんを守れたような気がしてすっきりしました。
私もアルバイト先の雑貨屋さんが閉店したタイミングだったので引っ越した後で仕事を始めました。
その仕事はブライダルの仕事だったのですが、最初はアルバイトから、という事でアルバイトから始め、夜中まで残業とかもあったけど人間関係も良くて楽しく働いていました。そして2年がたった頃、この会社の正社員の人って新卒か役員の人だけだって気づいてこのままじゃなダメだと思いハローワークへ行き正社員に転職します。
晴れて正社員になれたのですが、今度は社長秘書に目を付けられて仕事へ行けなくなってしまいました。今思えば、歯を食いしばって続けないとダメだったなって思います。
そこから働く自信が無くなっちゃって、友達が登録していた派遣に登録しデータ入力の事務で働き始めました。
タイピングが得意な私は、ここの仕事はすっと覚えられ職場で嫌な事があっても耐えられるようになり、少しずつ働く自信を取り戻していきました。
働く自信を取り戻した私は、もっと稼ぎたい!と思って派遣の時給を上げようと思い2,3年周期で転職を繰り返しました。最高時給1,670円まで上げる事に成功しました。
順調にお給料が増えた私は毎月母に渡すお金も増やす事が出来て、苦手だった恋愛もやっと上手くいくようになって長く付き合えるような優しい彼もできました。(現在の旦那さんです)
アメブロで稼ぐ日々
ブログの話に戻りますが25歳くらいから趣味で日々の日記や買ったもの等をアメブロで紹介していたら、ある時広告を貼れる事に気づき、そこから収益を得られたり、食品や、コスメ、ブランドの時計、洋服を企業から頂けるようになりました。
写真はほんの一部で、5年近くやっていたので総額50万円くらいの商品は頂いたと思います。
今まで何してた?って後悔の日々
私の人生ってまぁまぁ順調かなって思っていた矢先、派遣の契約満了の時が来ます。現在の派遣法では、派遣社員は同じ職場では3年までしか働けない法律になっています。
そしてその時期が、2020年の春、コロナウイルスと被ったんです。家にいる時間が長くなって
あれ?私はいつまで親と住んでいるんだ?
これまで自分なりに頑張ってきた事は何にも繋がってなかった。気づいたら周りは結婚したりキャリアを積んで良いお給料を貰っていたりしてライフステージが変わっているのに私はまだ母のご飯を毎日食べてお洗濯も母にしてもらう子供のままだった。
私はやっとここで自分の人生を考える事が出来て
自分には何もない事に気付きました。(32歳の時です。)
これまで、やってきた事が全部無駄だったような気がして
大切な20代を無駄にしちゃった気がして
しばらく誰とも会わないで、仕事が終わって帰ってきて
泣いてました。
頑張る理由ができた!人はいつからだってまた始められる
いかがでしたか?見事なポンコツぶりでお恥ずかしいです。
最初は、普通の家庭に生まれていれば・・とか人のせいにしちゃっていました。両親が仲良い家庭に生まれて愛情たっぷりで育ち、お金の不安も無く素敵な彼氏が出来て幸せに暮らす。
こんな風になれなかったのを家庭環境のせいにしていました。
でも環境や人のせいにするのって簡単だし、それが楽なんですよね。周りにも「私は育った環境が悪かったから幸せになれませんでした。」そうやって同情してもらう方が楽ですよね。
そんな私にも頑張らないといけない理由が出来ました。
それは、息子が生まれたことです。
自分1人なら少ないお給料の中でも
節約すれば生きていける。
でも、お金を理由に息子の可能性をつぶしたくないなって
0歳で人生が始まったばかりの息子の寝顔を見ながら思ったんです。
今まで嫌な事があったらすぐに投げ出してきた自分に
頑張る理由をくれた息子に感謝して
私は挑戦していきたいです。
るか