プロフィール

自己紹介とブログの理念

はじめまして!プロフィールを見て頂きありがとうございます。

このブログでは

  • これまでの経験を収入に変える方法
  • 転職に失敗しまくった私が思う天職の見つけ方
  • 将来のお金の不安を無くす考え方や行動
  • つまらない毎日から脱却する考え方

を発信していきます。

このブログを始めたきっかけ☆

現在、正社員で事務職していている私ですが

新卒で入った大手の会社を僅か5か月で辞めた事をきっかけに人生の迷子になり、ずっと悩んできました。

これまで仕事を1~3年単位で転々としてしまってとても恥ずかしく気づいたらお嫁さんにもなれていない、キャリアも無いぽんこつ薄給OLになっていました。

周りを見渡せば友達は結婚していたり、子育てしていたりマイホームを購入した子も・・。すっかり取り残されてしまいました。

 

でも自業自得・・

 

もう今の会社を辞めたら雇ってくれるところはないだろうからもう我慢して続けなきゃ。

 

これからは節約して、老後のお金を貯めてずっと不安な思いで生きていくのかな・・。そんな事を考えていたら生きてる意味がわからなくなりました。

 

 

でもこんな私にも今は希望があります。それはインターネットでお金を稼ぐ事です。

 

これまで趣味でアメブロをやっていて、インターネットでお小遣いを稼げるのは知っていた私、ずっと見ていたあるOLブロガーさんがブログを本業にし、会社員を卒業して自分らしく生きている姿を見て

”私もこうなりたい”

”自分の力で稼いで生きていきたい”

本気でそう思いました。

 

これがこのブログを立ち上げたきっかけです。

もっと私のこれまでを詳しく知りたい方はどうぞ下まで読み進めてくださいね。

 

何でもできちゃう器用な子供時代

2人姉妹の次女として生まれた私

活発で外で遊ぶのが大好きで鬼ごっこはもちろん、お人形さん遊びも外でやっちゃうような子でした。幼稚園の頃はセーラームーンごっこが流行っていました。ちなみに私はセーラーマーズ推し♡

 

小1の時は慣れない学校生活に朝行きたくないって泣いてお姉ちゃんに手を引っ張られて登校していた事もあったけど小3の頃にはすっかり慣れて順調な学生生活が始まりました。

・小学校のマラソン大会では100人くらいの中から3位(50m走は小学校高学年の時、8秒台前半でした。)

・お習字を習っていたので、銀賞に選ばれたり(書道三段)

・全然勉強しなくてもテストでは常に80点は取っていました。

1番にはなれないけど、努力しなくても平均以上な私でした。

 

小6の時にはクラスで男女各1人ずつしか選ばれない”代表委員”という係に女子3人立候補した中でクラス投票で選んで貰え、クラス代表として代表委員も務め、生徒会選挙の司会で校内放送に出演したりと目立ちたがりな一面もありました。

性格は大人しかったものの、走るのも早く背も高め、勉強もそこそこ出来た私はクラスでもどっちかといえば目立つ方のグループに入っていました。

クラスで1番足の速かった男の子にも告白されて(その子はその後すぐに転校してしまったけれど・・)平和な日々を過ごしていました。

初めてつまづいた中学生時代

中学生になった私は運動が好きだったのでバレーボール部へ入部

でも、バレーボール部の顧問の先生がめちゃめちゃ怒鳴る先生で

これまで人に怒鳴られるなんて経験の無かった私は怖すぎて僅か半年で退部してしまいました。

私の中学は必ず部活に入っていないといけなかったので適当に緩そうな美術部に入部

バレーボール部とは打って変わって土日の練習も無くとても楽ちんな部活でした。

パソコンを始めたら世界が広がった

元々活発だった私は、学校へ行くだけの毎日でなんかつまんないなぁと思って毎日を過ごしていました。

そんな時、父がパソコン買ったのです!父が仕事でいない放課後に、パソコンを借りてネットを楽しむようになりました。

その時に愛用していた「ふみコミュニティ」という10代の女の子向けのサイトは掲示板があり、誰でも投稿できて、同世代の子と繋がれてよく投稿していました。

例えば

”目を大きくしたいなら瞼の浮腫みを取るマッサージをするといい”とか、美容に関する話題だったり

学校での悩みなどなど情報交換ができ、そこで文通友達も出来て

なんと、実際にその子と原宿で遊んだ事もありました。

その友達は、神奈川に住んでいる子だったのですが中学生で同い年なのに眉毛も細くてスカートも短くて眉毛すらいじった事の無い私は

他県の中学生って大人っぽい!!と驚いたのを覚えています。

 

今思えば、変なおじさんのなりすましとかじゃなくて良かったなと思います。住所を教えて文通してたからね・・。

 

そこからパソコンにのめりこみ

自分でホームページを作ったりもしていました。

無料で借りれるサーバを借りて見よう見まねでHTMLをいじって文字を大きくしたり、ペイントでバナーを作ったりしていました。その頃は著作権とかも知らないしそんなに厳しくなかったので、ページを開くとAYUの曲とかをオルゴールで流したりしていましたね~♪

 

完全にこじらせた中2病だったのでそのサイトは謎のポエムみたいなのを投稿していて確かホームページのタイトルは「HANABI」でした・・。(浜崎あゆみさんのHANABIという曲から付けたような気がします・・。その頃AYU大ブームの時代です。)


こんな感じでバレーボール部を挫折した私は

すっかりパソコンオタクになり、学校は楽しくなかったけど放課後はホームページを更新していてそれなりにやり過ごしていました。

変わりたいと思った高校時代

勉強をあまりしなくても成績は中の上くらいだった私は、担任の先生に公立で推薦で行けそうな学校を聞いて面接だけの推薦入試でその高校へ進学します。

 

中学の時に部活を挫折した私は、

”高校ではちゃんと部活を3年間続けよう”

と思ってダンス部に入部しました。

私が行った高校は、”みんなで楽しもう”という雰囲気があって、尖ってる不良もいなく、中学みたいに理不尽に怒鳴る先生もいなく環境に恵まれました。

入部したダンス部もとても仲が良くて部活へ行くのが楽しみでした。

アルバイトも始めて、ファミレスで週に3日ほど月に3万円くらい稼いでいましたね。

 

どんどん勉強がおろそかに・・・

こんな感じで部活とアルバイトが楽しかった私はすっかり勉強がおろそかになります。

これまで、勉強してなくても平均以上の成績を取れていた私は高校からどんどんついていけなくなり中の下くらいに落ちてしまいました。

 

そんな中でも

高校生活の中で唯一誇れるものは

簿記2級を取得した事です。

自分で言っちゃうけど、簿記2級って合格率11%とかで難しいんです。

でも、私の高校は「みんなで頑張ろう」っていう雰囲気が強くて勉強嫌いだったけど、私もその楽しい雰囲気に良い影響を受けて

その時だけは1人で図書館で勉強したりして1発合格しました。

 

こんな感じで楽しい高校生活を送れた私は、お姉ちゃんが洋楽のCDをよく聴いていた影響で海外と関わる仕事がしたいなぁーと思い語学の短大へ進学しました。

 

うちは超貧乏では無かったけどお金持ちではないので

大学へ行くなら国立、専門や私立に行くなら2年にしてと親に言われ、私は私立の短大へ行きました。

ちなみお姉ちゃんはめちゃめちゃ努力して国立大学へ行きました。

 

類は友を呼んだ短大時代

私は短大も推薦で行ける所へ行ったので名前も知られていないようなFランの短大へ進学

やっぱりね、類は友を呼ぶとはこの事で私みたいに全然勉強しない人がたくさんいました。

もちろん、真面目に頑張っている人もいたけれど私は楽な方へどんどん流されて、アルバイトとお洒落の事ばっかり考えていました。

社会人になってまたつまづく

そして就職

高校の時に考えていた海外に携わる仕事は受かりませんでした。

今まで苦労して達成した経験がほぼ無い私は、たまたま受かった大手企業に就職し販売員となりました。

 

大手企業なんてすごいじゃん?と思うかもしれませんが

大手企業って辞める人を見込んで、大量に採用する所もあります。

私の同期も入社式にすら来なかった人(辞退の連絡をしていなかったんですね。)研修中に1人、配属初日に1人とどんどん辞めていきました。

周りがぽんぽん辞めるものだから仕事を辞めるという事に抵抗が無くなった私も元々やりたい事じゃなかったし、配属されたお店がめちゃめちゃ暇で1日に誰も来なくて掃除して終わったなんて事もあり、安易な気持ちで僅か5か月で辞めてしまいました。

 

その後は雑貨屋さんでアルバイトをしたのですが、半年後に閉店で退職

そしてこのタイミングで家族に問題が起こります。

親の別居と引っ越し

今まで家族の事はあまり話していませんでしたが両親は私がものごころついた頃から仲が悪く頻繁にケンカをしていました。

 

小学校くらいの頃、母とお祭りへ行き家に帰ると父がドアにチェーンを掛けていて中に入れなかったこともあります。

 

他にも部屋で過ごしているとドスドスと音がして2人がケンカをしててやっぱり力では父には叶わないからお母さんが負けちゃってて、小学生だった私は泣きながら必至でお父さんの背中をバシバシ叩いた記憶があります。

 

母は何度か私と姉を連れて実家へ帰ったそうなのですが、父は何度も謝りに来て結局父の所へ戻ったそうです。

 

こんな調子で、私は父と母が仲良くしている所を一度も見たことがありません。

お姉ちゃんはこんな家が嫌だったのか、受験を頑張って地方の寮がある大学へ行ってしまいました。

私も高校~短大は学校とバイトで忙しくて両親がケンカをしていても仲裁に入れたし、気にならなくなりました。

でも就職に失敗して、落ち込んで家にいた時にまた両親のケンカが始まって

 

もうお母さんとお父さん離れた方がいいんじゃない?って思って

 

私は母と一緒に地元を出て、母の親戚のいる地域へ引っ越しました。

私が21歳の時です。

ストレスの無い母との暮らし

母と引っ越し友達も誰もいない町へ、住む部屋はランクダウンしたものの、暴力的な父と離れての暮らしは大好きなお母さんを守れたような気がしてすっきりしました。

私もアルバイト先の雑貨屋さんが閉店したタイミングだったので引っ越した後で仕事を始めました。

その仕事はブライダルの仕事だったのですが、最初はアルバイトからね、という事でアルバイトから始め、夜中まで残業とかもあったけど人間関係も良くて楽しんで働いていました。そして2年がたった頃、この会社の正社員の人って新卒か役員の人だけだって気づいてこのままじゃなダメだっと思ってハローワークへ行き正社員に転職します。

晴れて正社員になれたのですが、今度は社長秘書に目を付けられて仕事へ行けなくなってしまいました。今思えば、歯を食いしばってやらないとダメだったなって思います。

そこから働く自信が無くなっちゃって、友達が登録していた派遣に登録してデータ入力の事務で働き始めました。

タイピングがめちゃめちゃ得意な私は、仕事もすっと覚えられて職場で嫌な事があっても耐えられるようになり、少しずつ自信を取り戻していきました。

働く自信を取り戻した私は、もっと稼ぎたい!と思って派遣の時給を上げようと思い2,3年周期で転職を繰り返しました。派遣を辞めた時には時給が1,670円まで上げる事に成功しました。

この時給を上げる考え方って後に良くないって知るのですが、その説明はまた別記事にしますね。

順調にお給料が増えた私は毎月母に渡すお金も増やす事が出来て、苦手だった恋愛もやっと上手くいくようになって長く付き合えるような優しい彼もできました。

アメブロで稼ぐ日々

趣味で日々の日記や買ったもの等をアメブロで紹介していたら、ある時広告を貼れる事に気づき、そこから収益を得られたり、食品や、コスメ、ブランドの時計、洋服を企業から頂けるようになりました。

写真はほんの一部で、5年近くやっていたので総額50万円くらいの商品は頂いたと思います。

アメブロは最高月収は約15,000円、好きな事を発信して、お小遣いを稼げる日々はとても楽しかったですし、また時間に余裕が出来たら再開したいです。

アメブロの更新をお休みした理由もまた別記事にしますね。

今まで何してた?って後悔の日々

私の人生ってまぁまぁ順調かなって思っていた矢先、派遣の契約満了の時が来ます。現在の派遣法では、派遣社員は同じ職場では3年までしか働けない法律になっています。

そしてその時期が、2020年の春、コロナウイルスと被ったんです。家にいる時間が長くなって

ふと考えたのが

あれ?私はいつまで親と住んでいるんだ?

私の人生って何がしたかったんだっけ?

 

これまで自分なりに頑張ってきた事は何も将来に繋がってなかった。気づいたら周りは結婚したりキャリアを積んで良いお給料を貰っていたりしてライフステージが変わっているのに私はまだお母さんの子供のままだった。

そうだった

私はやっとここで自分の人生を考える事が出来て

何もない事に気付きました。

 

これまで、やってきた事が全部無駄だったような気がして

大切な20代を無駄にしちゃった気がして

しばらく誰とも会わないで、仕事が終わって帰ってきて

泣いたりしてました。

気づいた時からやり直せる

いかがでしたか?見事なポンコツぶりでお恥ずかしいです。

最初は、普通の家庭に生まれていれば・・とか人のせいにしちゃっていたんですよね。両親が仲良しな家に育って愛情たっぷりで育って、素敵な彼氏が出来て幸せに暮らす。

こんな風になれなかったのを家庭環境のせいにしちゃっていました。

 

でも環境や人のせいにするのって簡単だし、それが楽なんですよね。周りにも「私は育った環境が悪かったから幸せになれませんでした。」そうやって同情してもらう方が楽

 

でも、だからって他人は助けてくれません。

最後に自分を助ける事が出来るのは自分だと気づいたんです。

 

 

私がこうなっちゃったのって

“自分がどうなりたいのかわからなかったし、考えていなかったからなんです。

 

でも

こんなポンコツな私にも

 

最後のチャンスが回ってきました。

それがインターネットで自分でお金を稼ぐ事です。

 

そんなにすぐには上手くいかないと思うけれど

 

残りの人生で、定年まであと35年近く

このまま毎日満員電車で手取り18万で節約しながら暮らすのか

 

自分がどうありたいか正直になって

インターネットで第2の収入を作るのか

 

考えたら答えは”やる”の一択でした。

 

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